小笠原流歩射心得より

地下道場の壁に・・・

おかげさまで、素晴らしい環境にある中で 指導者陣にも恵まれ、一生弓道を続けていこうと決心するほどになっているわけですが(子どもが)、宮崎市体育館の地下道場でこんなものを見つけました。

弓を引かない私が道場入口まで行くこともそうはないので気付かなかったのですが、読んでみて全てがなるほどと思ったので写メってきました。

以下、全文です。

 

 

第一条 師を選ぶこと

まず第一に、正しい射術を身につけ、正しい心を持った人を師とすべし。選択を誤ると、長年修業しても結果卑しい弓引きで終わる。

 

第二条 素直な気持ちで弓を持つこと

我意は捨てること。注意されたことを正さない人は前に進めない。

 

第三条 人まねをせぬこと

弓術は、門人の体格、進みによって教えが変わる。他人の射を見て自分の射を直すのは進んだ人のやることで、進みがその域に達していない人がやると、教習の順序が狂い不成功の因となる。「知」が「行」に先立つ人は、一番の困りもの。

 

第四条 一手百手

粗末な二百射は、丁寧な二射に劣る。正しい射をすれば、結果当たるようになる。むやみに工夫することを考えてはいけない。時間の無駄である。

 

第五条 増長せぬこと

弓術ほど増長しやすいものはない。自分のみすぼらしさをはっきり見ることのできる境地に達するのに十年、十五年、一生解らぬ人もいる。真の自信を得るには、自己を知り、謙虚に修養することを切望する。

 

第六条 絶えず稽古すること

初めに飽きる人、中頃で飽きる人、上達してから飽きる人、飽き方は様々あるが、弓道は修養道である。修養する気持ちがあれば、一生飽きることはない。

 

 

 

第一条に関してだけ書いてみます。

 

師を選ぶこと、実感してます。

どんなに弓道が上手くても、人柄の深さみたいなものがなければ、ついていこうと思うには限界が来るのではないでしょうか。

「師」である以上、「好き嫌い」などという感情で「弟子」を判断したりえり好みするのは品位に欠けます。(学校でもよく見たでしょ?差別する先生とか・・)

弓術を教えるにあたっても、弟子としても感情に左右される師のもとで教わりたくはありません。

 

弓には人間性が出ると聞きます。よーく見ていると、何だかよく分からないけどあの人の射には惹きつけられる、とか、あの人の射は凛とした佇まいがあるけれど孤独だ、とか、見えてくるものがあります。そうやってたくさん観察して、射からも人間性を掴んで、おこがましくもそこから師を選び、その上で、やはり師弟は「相性」かなと思います。

 

もしかしたら、成長した時に次のステップアップのための「師なる御方」を見つけ、新しい”弓道カップル”(ブログ③参照)になるかもしれません。幸い、うちの師匠達は「いろんな人の素晴らしいところをたくさん見なさい学びなさい」と言ってくださる方達なので、各方面への学びの旅を全く制限せずにいてくださいます。「あの人のここは素晴らしい」「この人のこんなとこがすごいとこ」・・と、たくさん紹介もしてくださるので、「弓道界のスゴイ人達」についても勉強させてもらっています。また、師匠達自身がお互いを認め尊敬し合っている姿こそ大きな学びにもなっています。「仲間」とはこうあるべきかと刺激をもらっています。

 

他の人の素晴らしさを認める人柄。弟子が失敗したりヘナチョコでもけなしたりせずに歩調を合わせて待ってくれるところ。何かを始める時に自分一人の邪(よこしま)な考えではなく 宮崎の弓道界全体についていつも考えていること。どんな大会でも審査でも、関わった子がいるところには出来る限りほぼ顔を出して応援に来てくれること。各々の骨格や体格、レベルに合わせて「個」をきちんと見た指導をしてくれるところ。「次も頑張ろう」と思わせてくれながら、目指すところは遥か高く容赦なく(笑)、その中で弓道の楽しさを見せ続けてくれています。

呼んだわけでもないのに人が集まってくる点でも、その人柄を含め・・だと思っています。

うちの「師」(それも一人じゃない(^^)v)も、間違いなく選べたぞ!と自負してます(笑)